バーナード・マラマッド「もうひとつの生活」(宮本陽吉訳/新潮社 絶版1970)読了。
マラマッド自身の下積み時代を主人公の孤独な大学講師レヴィンに投影しながら、思い通りにならない人生を送るひとに、やさしいまなざしが注がれる物語。
「A New Life」というタイトルも一見爽やかでいて、とても奥深い。ふだんの生活で爆発的にいいことは起きないし、自分を他人に理解してもらうことも難しい。つまり、ひとはどこかで「A New Life」への希望を持っていないと、命を絶つしかなくなってしまうから。。。
主人公も「もうひとつの生活」を求めて、長年暮らしたN.Y.を離れ、人生をやり直そうとする。でも、閉鎖的な地域性、職場の派閥抗争、愛してはならないひとたちからの誘惑に翻弄され、(マラマッドも案外モテたのかもしれない:笑)そのどん底の状況を克服しようとする姿が崇高で感動を覚える。
幸運に恵まれず、ネガティブな人生観を引きずりながらも、最終章で「生は愛です」と主人公が言い切るとき、彼は絶望の果てで「A New Life」の精神を手に入れることになる。個人的な感想にすぎないけど、マラマッドは特にヘミングウェイ「老人と海」の老漁師サンチャゴに象徴される、悲惨に挑む精神の強さ、気高さに思い入れを込めた気がする。(作中、性表現のあるヘミングウェイ短編「10人のインディアン」の教材拒否運動に毅然と立ち向かう主人公はまさにマラマッドの分身そのもの)
“レヴィン”は誰か-
マラマッドの普遍性について;「物質より精神」
マラマッド本人の教鞭生活時代をモチーフにしながらも、その主人公像は、ドストエフスキー
「罪と罰」のラスコーリニコフ、サルトル「嘔吐」のロカンタン、先の「老人と海」サンチャゴ、
ゲーテ「ファウスト」のファウスト博士、ダンテ「神曲」に重なると思う。
マイノリティの文学とされるユダヤ系アメリカ文学の中で、マラマッドの作品がこの高い普遍性と
精神性に満ちていることが、何より研究者を夢中にさせる理由なのかも。。。。
獨協大学島田啓一教授「The Unofficial Bernard Malamud Homepage」 に
本作のキャラクター解説があるので(英文ですが)紹介させていただきます。
・解説
「ここではじめてお目にかかった晩、
新規播き直しでやるとか
おっしゃったんじゃなかったかしら?」
「人はいつでも、そうしなきゃならないと思うものですよ」
「人生から何を求めておいでになるの?」
「秩序、価値、収穫、愛」とレヴィンは言った。
「愛情は最後なの?」
「愛情はいつもそうです」
「私だって人生を誤ったのはわかっているの。
どんどん過ぎてしまうのに
私ったら何もできなかったんだわ。
私って今の生活にも、おそらく今までの
生活にも満足していないのね。
レヴィンさん、あなたも私も
周囲とうまく合わない性格なのよ」
「私はまた自分で恋するのは知ってたの。
だけどこんなに早く苦しまなきゃならないとは
思ってもみなかったわ」
「生は愛なのです」
「年上の、おまけに信用できない女。それに養子が二人。
どうあがいたって、仕事も希望もないはずだ。
それに頭痛の種が一通りそろってる。
どうして、そんなものをしょいこむんだ?」
「あなたみたいなケダモノとちがって、
ぼくにはそれができるからですよ」
「彼はたえず春を追い求め、
新しい季節を、新しい生活を
「自由の中に生まれ変わること」を
永遠にさぐりつづけているのだから」
「不満は冷たい現金も真実の愛ももたらすことはない」