
(厳しいスケジュールの合間。いくつかクリアしたので「冤罪」について書く)
人生には終わりがあるのだから、いちばん大事なのは時間である。したがってミヒャエル・エンデ「はてしない物語」的に言えば、「時間どろぼう」というのは最も憎むべき敵なのだ。
で。先日、周防監督の「それでもボクはやってない」を見た。「冤罪」を考える映画。もう少し言うと、現在の警察機関(逮捕・勾留)→検察機関(起訴・訴追)→司法機関(公判・裁定)の日本の犯罪訴追システムの実態では、こと「痴漢」に関しては有罪率99%の先入観の下で冤罪の温床になりうるという問題提起。本当の冤罪なら、国家による「時間どろぼう」だが時間は誰にも賠償できない。「取り返しがつかない」ものの最たるものだ。
さらに先日、お盆の親戚の集まりで陪審員制の話が出た。「日本はすぐにアメリカをマネするから」という感想も出た。うん。タシカニ。司法試験合格者の増員で司法修習生が就職難だというが、裁判官は人手不足で超多忙。裁判が長くなってしまうのを何とかできないか、の解決に陪審員制が出てきたわけだが、実は日本の刑事訴訟法はアメリカ法が前提になっているので、組み込みやすいという事情もある。しかし専ら裁判官の事務処理をスピード化するのが大前提の制度で、法のプロが素人をリードをするのは目に見えている気がしないでもない。一般人の感覚が冤罪を正してくれるならいいのだが。その逆になるオソレも。裁判には「一般人感覚」だけでなく知性や教養も必要なはずだし。。本当に大丈夫なのか?陪審員制、吉と出るか、凶と出るか。
最後に-
もうずいぶん前、朝ラッシュの地下鉄丸ノ内線内で痴漢オヤジを目撃したことがある。
急停車のアオリで中央に3層構造で立っていた人々の隊列が崩れ、見えにくい人ごみの中で行われていた蛮行が着席していた私の視界に偶然入ったのだった。(とてもここでは書けぬ内容。。)見たのは一瞬で、駅に着くと共に可哀そうに若い女性はどこかへ逃げてしまった。若気の至りでその変態オヤジの腕を掴み、連行しようとしたが女性が逃げてしまったので「ただのいいがかりだ」と強行拒否。こちらが暴漢のような有様に。。水掛け論を突破する勇気もなく、急いでいたので仕方なく断念したが。あのオヤジは定年まで痴漢を続けるんだろうか。。。