ここに一冊の薄汚れた本がある。父が遺した「定本 八木重吉詩集」(彌生書房/初版 昭和34年/第16版 昭和47年)。八木重吉氏のことは以前書いたことがあるけれど、この詩集が読み継がれるのは、基督者詩人としての彼の祈りの力なのかもれない。
というのも(詳しい年譜は他にゆずります)八木重吉氏は昭和2(1927)年にわずか30歳の若さで
妻と幼い子供2人を残し、肺結核で世を去り、その後、子供も夭折。詩人吉野秀雄氏(彼は山口瞳の師でもある)と再婚した妻が必死で原稿を守り、吉野家の協力で出版された一冊なのだ。まさに命のリレー。
このごろ基督教と日本人について考えることが多い。遠藤周作氏が「白い人 黄色い人」で述べているのは圧倒的多数の日本人が「こころ」がないままに生きているという糾弾だろうか。
“彼等日本人は神なしにすべてをすませられるのだった。教会も罪の苦しみも、救済の願望も、私たち白人が人間と考えた悉くに無関心、無感覚に、あいまいなままで生きられるのだった。これはどうしたことなのだ。これはどうしたことなのだ。”「白い人 黄色い人」
一方、八木重吉氏の詩がこころを打つのは、やはり信仰自体の清らかさなのだろう。
“からだも悪いしどうしても正しい人間になれない
御飯をたべながら
このことをおもってうつむいてしまった”「晩飯」