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Against Capital punishment / shigemitsu dandou
東大大学院の姜尚中(かんさんじゅん)教授が言っていた。responsibilityとはresponseの派生である。すなわち社会に対して声をあげるのも社会人の責任でアルと。このコトバに押されて書いておく。
来年5月からの裁判員制度に大きな疑問を抱いている。理由は星の数ほどある。何よりも恐ろしいのは、「とりあえず」一般人に裁かれ、死刑になりうるという事実である。(裁判員制度は3年後に見直されるお試しキャンペーンである)。一方、国連は昨年、死刑執行停止を決議。先進国で無視を続けるのは米国と日本。冤罪だったら取り返しがつかない。そもそも裁判員制度施行の前に死刑制度が議論されなくてはならない。
個人的には、最高裁判事も務められた刑法学者 団藤重光先生の「死刑廃止なくして裁判員制度なし」(via Because It's There)に賛成したい。(死刑の代替案として無期懲役で足りるか否かという議論はあるにしても)それが国際的な「正しさ」の趨勢ではないのか。
(※氏が死刑反対論者になったいきさつは以前書いた。簡単に言えば、氏が死刑判決を出した法廷で人権団体から「人殺し!」と叫ばれたとき、改めて国家による殺人を意識したとされる)
戦後、この国は実質米国に統治されてきた。「平和憲法」は氷づけ。日本の軍隊は全国各地、世界の果てまで「国際協力」の詭弁で戦争の準備をする。米国の要望書通り、行政はおろか、司法にも介入が進む。
ほかにも問題は山ほどある。今、検察官の若手は、上司からプレゼンの査定を受けているという。「わかりやすい裁判」が「劇場型裁判」になる恐れ。「予断排除の原則」はどこへ。「あまりに大勢の前では被告が真実を話せない」という声もある。「迅速」を重んじすぎて裁判の公正、厳密な事実認定が損なわれる恐れ。残忍な証拠写真でPTSDになる恐れ。一般人に事実認定と量刑まで判断させることは、誤審の確率が高まることも否定できない。いずれにしても、これが強制施行であることが何よりも問題ではないだろうか。やはり政府は米国に何も言えないのか。なぜ日弁連は黙っているのか。日本はどこまでジャイアンについていくのか。