「まいにち、まいにち、死にたいと思っているの。痛くて、しんどくて、何をしてもつらいから。」とおばあさんの声が漏れてくる。
某病院の待合室。ぼくと同じベンチの端で、彼女は小さな背中を向け、初めて知り合った誰かと話していた。身寄りも無く、アメリカで脊椎の手術をしたが、埋め込んだ金属が神経を傷つけ、痛みをパートナーとして生きているらしい。座っているのもつらい、ため息が聞こえたので、すぐ席を立ち、寝転がれるように薦める。どこか祖母に似た小さな顔が驚きに変わり、あなた、そんなふうにやさしくしてもらったら。。どうしましょう。と泣き出してしまった。
ずっと蓋をしてきた何かがあふれてしまったのだ。よくわかる。彼女はぼくでぼくは誰かだ。人の情けはこころをゆるめる。ありがたい。でも苦しみまでは共有できない。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど役に立つこと」のように、それぞれ泣きながら、焼きたてのパンのありがたみを感じて生きていくしかないのだ。
政治は相変わらず醜い。江戸時代から何も変わっていない。2兆円もムダにばらまかれた。ばらまくためになお税金がかかる。民意の届かない政治。我々の税金がさもしく不平等に戻ってきただけだ。料亭に通いなれた某官僚が「すきやきでも食べようかな」とのたまう。「肥えた豚より痩せたソクラテスになれ」(J.S.ミル「功利主義論」)なんてこころ構えはないことになっている。